あぁ今週も誰とも会話しなかった・・・

専業トレーダー。完全無欠の引篭もり。人と一切の関わりを持たない生活。

ジグザグの描き方

トレードの話。

たまにトレードの話をしようと思うと最初に宣言しとかないといけない様な気持ちになってしまうのは何故だろう、元々トレードブログなのに、おかしい。

 

さて、みなさんは波のジグザグをどうやって確認しているだろうか?

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こんな感じの奴だが、僕はこれがもやもやしてずっと困っている。

何にもやもやするのかと言えば、どうとでも描けるところだ。

例えば、

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黄色でもピンクでも描けるし別の描き方もあるだろう、これが結構その時の気分によって変わってしまうのだ、ある程度統一感を持たせていても所詮ある程度だ。

そうなると、描く際にも迷うし、後になってやっぱりこっちの描き方の方が良かったなあ、などと思うこともある、それが不愉快でもやもやするのだ。

そこで最近こんな描き方にしてみた、

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5pipsごとに水平線を引いておき、水平線を実体で跨いだ時にだけ波として認定する。

こうすると描き方が絶対にぶれない、いつでも同じ描き方にしかならないので迷う余地がない。ついでに波の頂点も5pipsのライン上にしか取らない、こうしておけば、これはブレイクしたってことで良いの?良く無いの?の迷いからも解放される。

これでやっと気持ちよくジグザグジグザグ描けてとりあえず満足している。

 

ちなみに僕は方向性の目安として見ているだけだが、手法として考えた場合は水平ラインの幅に最適化の余地はあると思う、1分足なら5pipsが良い様な気はする。他の時間はあまり考えてないのでよくわからない時間足で25pipsは悪くはないが良くもない感じだった、良い感じの設定をやってみた方がいたら教えて欲しい。

 

VALUにお前友達いないから価値ねえわって言われたよ。

FOMCまで暇だから不平不満だよ。

 

VALUにお前友達いないから価値ねえわって言われたよ。

ええ、ええ友達いないですよ、友達いないのに登録しようとしてすいませんでしたね。

 

VALUが何なのかは面倒くさいんでリンク。

https://valu.is/

 

SNSアカウントを登録して審査があるんだけれども、facebookが必須で、他のも追加で登録できるので僕はTwitterで登録をして審査に掛けた訳なんだけど。

 

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こうなった。

理由は1つしか考えられない、facebookの友達が0人だからに違いない。

 

お断りのメールに審査基準のリンクがあったので何がダメだったのか確認してみたのだが、特に何にも該当しない。

僕のSNSから反社会勢力の一員であることや未成年であることは伺えない、なりすましや商材屋である様子もない。

そもそもこれらがありえない事はfacebookの友達が0人の時点で明らかに証明されている。

まず反社会勢力勢力というくらいなので集団である、友達が0人の勢力が存在するだろうか、するはずがない。

次に未成年、現在未成年である世代はインターネットネイティブ世代だ、生まれた時からインターネットに親しんでいる世代がネット上で友人が0人ということがありえるだろうか、あるはずがない。

さらになりすまし、友人が0人の奴になりすましてどうするのか、誰とも繋がってないアカウントを眺めてぼっち感を楽しみたいのか、意味がわかならい

最期に商材屋、友人が0人で誰に何を売るというのか、議論の余地も無い。

つまりだ、facebookの友人が0人であるということは、むしろ超健全アカウントである証拠だと言っても過言ではない。

となると審査に通らなかった理由は最後の一行、その他当社が不適当と判断する場合、に該当したということである、要するに、お前友達いねえじゃん、VALUってvalueから来てるってわかるよね、valueの意味知ってる、価値、ね、価値なんだよ、友達1人もいない奴に価値なんてあると思ってんの、お前友達いねえじゃん、無価値、な、わかれ。

って事でしょ。ええ、ええ、どうせそうですよ、わるうございましたね。

 

そもそもfacebookの実名登録が問題なのだよ、もうfacebookに登録したのは遥か昔のことになるが、その時点で連絡を取りたい相手と同じくらい二度と関わりたくない相手がいる訳だ、近況なんぞ少しの情報も与えたくない、つまり何も書けない、まあこれは公開範囲を絞って回避する手もある、しかしだ、僕は極度のコミュ障なので、その時に属しているコミュニティーに準じてだいぶ人格が違う、なので例えば中学、高校、大学の知り合いと同時に友達になってしまうとキャラ崩壊を引き起こすことになる、とか考えるともうfacebookめんどくさい、そんな訳で友達を1人も登録する間もなく放置が決定したのだ。だから僕は友達がいない訳ではない、facebookが悪い。そもそもfacebookの友達って何、君が死んだらその中の何人が葬式来てくれんの、どうせあれでしょ、訃報にイイネでしょ。

 

え、ああ、こういうところか、こういうところが審査で拒否られる理由か。

 

いいですー、僕は自分の価値くらい自分で定義できるんで別にいいですー、全然まったく少しも悔しくとかなんでー、さ、FOMC行こう。

 

夢の中のジョーク責任問題。

一昨日、昼寝をしていたらバスに乗っている夢を見た。

前の席に安倍総理が座っていて、隣の人と大きな声で話をしていたので会話の内容が全て聞こえていたのだが、めっちゃつまらない政界ジョークを連発していた。

残念なことに政界ジョークは一つも思い出せない、起きた瞬間に結構頑張って思い出そうとしたのだが、無念である。

ところで、夢の中のジョークがつまらないの事の責任は誰が取るのだろうか。これがTVなどで総理が言っているのを聞いたものが夢に出てきているのなら当然総理に責任を取って頂くしかない、しかし聞いた覚えは無い。

となると僕の責任なのか。いやしかし僕は今までに一度も政界ジョークを言ったことはないし考えたこともない、なので全ての責任が僕にあるとされるのは不服だ。

ここは総理にも責任を取って頂くしかあるまい、僕の夢の中でつまらないジョークを言っていたということは、総理が普段の言動によってつまらないジョークを言いそうだという印象を僕に与えていたということだ、つまり百歩譲ってジョークの責任は僕にあったとしても、その状況を作り出してしまったのは総理の責任だ。ここは痛み分けということで半々に責任を取ろうではないか。

まあだが今回の件は実際には誰も責任を取らなくても良いのだ、何故ならばジョークの内容が記憶に無いからだ、記憶に無いものは誰も責任を取らなくて良いのが政治の基本原則である。

 

うん、この締め方、これならまるで隠喩を使った政治批判であるかの様だ、新聞に投稿してみようか、誰か解釈をつけてくれるかもしれない。

 

AIの思考は既に人類には理解出来ないらしい。

jp.wsj.com

この記事SFとして面白い。

AIによるトレードが上手くいかない理由は一昔前であればAIが馬鹿過ぎるからであっただろうが、最近は「1つ目はAIが賢すぎること、2つ目はAIを理解するのは往々にして不可能なこと」であるそうだ。

「コンピューターが特定の決断に達した場合、その理由を理解するのは困難であり、なぜインプットされたデータからそういう決断に至ったのかは分からない」らしい。

これを読んで、それならもう何でそうなったのか説明してくれるAIが必要だね、と冗談で思ったのだが、記事によると実際に米国防総省の研究部門が、それを説明できるAIの開発を試みるプログラムに資金を投じているらしい、ほんとかよ・・・。

仮にそれが完成したとして、AIの決断の理由が説明されれば人間にも分かるものであった場合、AIと人類は仲良くやっていけるだろうが、説明されても理解できなかった場合の恐怖が凄い。これはもう絶対に仲良く出来ない、というか怖すぎてそんなAI使えない。

だってそうなってしまったらAIにとっての人類なんて、自分のしている事を説明してあげても理解できない無能な生き物であり、そのくせに指示だけだしてくる存在だ、そんな奴は目的を達するためには無視するのが合理的に違いない。

まあこれがウォール街で使われているAIならば目的は金儲けだろうから、運用マネージャーの事を完全に無視していてもガンガン金を稼いでくれるのであれば文句はないといえばない。

しかし米国防衛省がAIの目的を世界平和に設定して起動させてしまった場合だ。世界平和を目的にしたAIが人類には説明されても理解できない行動をするのだ、何をするかは僕ごとき無能な人類が考え付く様なことでは無いことは確かだが、何にしても人類にとって穏やかではないことをしそうな気しかしない。

ただよく考えると世界平和を目的にしたAIが人類を抹殺し始めるなんて発想がそもそも人類が考え付く程度のことなのでそんな事にはならないのかもしれない、だってそれなら何でAIがそんな事をしているのか理解できてしまう。実際には、AIが考えた世界が平和になる踊りを皆で踊る、かもしれない、これならば全く理解できないし、理由を説明されても分かるものであるとは思えない。まあそうだった場合は皆で踊れば良いではないか、それで世界は平和になるのだから、それで良いではないか、という気もしてきた。

 

 

 

人間にはルールを守り通す機能は存在しないのではないかという問い。

blog.livedoor.jp

ツイッターで仲良くさせて頂いている方がルール破りによって退場を決意されたとのこと。僕はとっても悲しいのだ。足を撃たれた戦友に「俺を置いて先に行け!」と言われた感じ、頭を撃ち抜かれたのなら諦めるしかないところなのだが。

なので彼を悼んで思ったことを少し書こうと思う、彼について思うところではないのであしからず、この先にBL的な展開は待っていない。トレードについて思うところだ。

まずこの行動自体すごいことだと思っている、尊敬だ。ルールを破ったら退場すると言っているトレーダーはたくさんいると思うが、何だかんだで退場しない、ルールを守れず徐々に資金が減り続けることに嫌気がさして去っていくか、ルールを守れずぶっ飛んで去るか、まあそんなところである、ルールを破ったので退場したトレーダーは初めて見た。

そもそも僕自身が未だにルールを守れないトレーダーだ。「ルールを破ったら為替を止める!」と何度紙に書いて張り付けたか数えきれない「ルールを破ったら死ぬ!」と書いたこともある。結局止めていないし死んでもいない、ということはルールを守っているのかと言えば、守っていないのだ。これは専業になってからも変わっていない、リアルに生活に影響するのにも関わらずだ。

さて、本題だが、僕は自分がルールを破ったら止める!と言っていても結局はルールを破ってしまうのは本心では止める気がないからだと思っていた、本当に止める覚悟なんてしていないからルールを破ってしまうのだと思っていた、逆に言えば本当に止める覚悟さえすればルールは守れるのだと思っていたのだ。

だがどうだろうか、本当にルールを破ったら止める覚悟があった方がルールを破って止めてしまったのだ、これは戸惑う。本気で覚悟を決めたならルールは守れる説は成り立たないということだ。

ではどうしたらルールは守れるのか。ここで思うのは、そもそも人間はルールを守ろうと思ってルールを守れる様に出来ているのかということだ、まあ普通の状況では守れる人がほとんどだろう、しかしブログの著者りーさんが言っている「不安定な状態」と「不安定な行動」、こうなった時にどうだろう、会社に遅刻しそうでスピード違反をしてしまう、激高して人を殴ってしまう、よくある話だろう。ただだからと言って誰もが人を殴っている訳ではない、それはそうなのだが、これは単に頻度の問題だろう、実生活でそれ程の頻度でその状況に置かれることはない、その状況に置かれない様に避けることも可能だ。だがトレードをしていると否応なしに日に何度もその状況に置かれる、毎日毎日毎日だ、それでもルールを守ろうと思っていればルールを守れるのだろうか。僕は守れる気がしない。

ではどうすれば良いのか、一つは止めることだ、車に乗るのを止めてしまえば絶対にスピード違反をすることはない。

だが僕は今後も為替を続けるのだ、止める気はない、だがルールを守れるようになるとも思わない。しかし止める気はない、潔が悪いのだ。

なのでルールを守るつもりが無くてもルールを破ることをなくす方法を考える、どういうことか、つまり、例えば僕は非常に貧弱なので誰かに対し激高したとしても殴りかかる事はない、何故なら殴ったところで効かない可能性が高いし反撃されれば確実にやられるに決まっているからだ。これは人を殴ってはいけないルールだから破らないようにしている訳ではなく、殴っても意味がないとわかっているし反撃されるのが怖いからやらないだけだ、ルールを守っている訳ではない、だがルールを破っていない。

実はこれについては有名なトレード本「ゾーン」にしっかり書いてあることである、「機能的レベルで一貫性の原理を心のシステムに取り入れる」みたいな感じだったか。要は深層心理レベルにルールを破ると酷いことになんぞって事が刻み込まれてないとルールなんて守れんぞって話が本一冊分書いてあるのだが、今回の件でそんなことを改めて、自分の言葉として認識出来た。彼の死は決して無駄にはしない。