あぁ今週も誰とも会話しなかった・・・

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レポート:モーツァルトについて

さて、どうしたものか、私はモーツァルトに対して何の思い入れもない、興味を示してこなかったからだ、したがって知識もない、知っている事といえばモーツァルトが偉大な作曲家であるというくらいのものだ、作曲家である、作曲家であるならば、ここで私がモーツァルトについて語る上でまずすべきことは曲を聴くことであろう。

というものここで私が、彼は5歳で作曲をしただの4日で交響曲を書いただの言ってみても、彼の曲からは α 波や 3500Hz の周波数が多く発せられていて、その効果は、なんて話をしてみても、モーツァルト的には「そんなことより、まず曲を聴け、話はそれからだ」と思うに違いないからだ。

それならば、聴こうではないか、しかし、いったい何から聴けば良いのか、クラシックに疎い私にはさっぱり見当が付かない、アイネクライネナハトムジークトルコ行進曲あたりは知っている、があまりに知名度が高すぎて改めて聴く曲として選ぶにはやや抵抗がある、と思っていたところでディヴェルティメント K.136が勧められているのを見つけた。

これは良い、まず曲名が良い、わかってる感が醸し出されている、モーツァルト聞いてますよ感に溢れている、これだ。と、聴こうとしたところで思う、まてよ、これを聴いたと語る際にとても重要な事が一つある、さて、曲名は何て読めば良いのだろうか、ここを間違えると台無しだ、何を語っても苦笑いしか頂けない。K(ケー)ではないだろう、モーツァルトはヨーロッパの人だ、そのくらいは知っている、Kの発音はケーではないに違いない、何でしょう、K(ケッヘル)と読むそうだ、「ディベルティメントケッヘルひゃくさんじゅうろく」と判明した。これで心置きなく聴くことが出来るというものだ。

聴いてみた、うん、まあ、なんだ、感想が何も浮かばない、正直に聴いた直後に思ったことを書くなら「うん・・・」だ、これはどうすれば良いのか、何も語れない、ここは仕方が無いので勧めていた方の感想を参考にさせて頂くより他にないだろう、

” 第1楽章の青空を突き抜けるような伸びやかな旋律 "

ん?!青空?!青空・・・見えたよね・・うん、そう、見えた・・・

" 第3楽章は無邪気な沸き上がる楽しさ "

無邪気?!無邪気・・・そ、そう、そんな感じ・・・
" ディベルティメントは、これから輝かしい未来に向かって、
 その有り余る神から授かった才能を宿した少年の、生の喜びが成した傑作だ。 "

あ、えーと、もう無理なんで素直に白状すると、全くわからない、この感想読んでから聴いたってわからないもの、少しもわからないもの、無理だって、どうやったらこんな感想になるのか、そうは言っていても仕方が無い、何かわからないけど、やってみようか、

” 水浴びする乙女がいて、風に舞うアカシアの花びらが

 香りとともにその黄金色の色彩を水面に浮かべている。乙女はそっと口づけを "

あ、間違えた、これは白ワイン「ムルソー」の感想だ、しかも漫画「神の雫」より抜粋のやつ、要するにそのくらいわからないという話だ。

結論いこうか、私にはクラシックを語る感性や素養が足りていない、一曲も鑑賞することが出来ない人間が彼の生い立ちや人物像、業績、諸々について語るなんてことは烏滸がましい以外の何物でもない、つまり今回のレポートで私が言える事はただ一つである、今現在の私にはモーツァルトを語る資格は無い。

とは言え、クラシックをある程度きちんと鑑賞するためには前段階でそれなりに作曲家や楽曲についての知識を入れておいた方が良いという事は理解できた、感性はどうしようもないが素養は付けられる、つまりこのレポートはそのためのものだろう、今の私にモーツァルトを語る資格は無いので何も語らないがレポートを書く上で得た知識が今後のモーツァルトの鑑賞を豊かなものにすることは間違いが無い、ここから始まりいずれ語れる様になる日が来るかもしれない。

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どうでしょう、1600文字、案外と綺麗に着地できたんじゃないだろうか、このまま使っても良いよ、いや、このままはふざけてると思われるかもしれないけど、もう少しだけ真ん中辺を真面目にすれば使えるんじゃないだろうか、どうだろうか、どう、どう思う、むしろ使って。

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めっちゃわかってる風も書いてみた、改行無しで1000字足りないくらい。

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モーツァルトについて何を書こうかとなれば、やはりピアノ協奏曲についてだろう。器楽、声楽、宗教曲とあらゆるジャンルを手掛けており、いずれのジャンルでも名曲といわれる作品を残しているモーツァルトだが、彼はピアノとクラリネットを愛していたと言われている、中でもピアノは名手であり、ピアノ協奏曲はライフワークと言われるほどであったとされる、実際モーツアルトはピアノ協奏曲を1番から27番まで作曲している、これはモーツァルトに並んでウィーン古典派三大巨匠と言わているベートーヴェンのピアノ協奏曲が1番から5番までなことを見てもかなりの数であろう。ピアノという楽器の魅力と面白さを遺憾なく引き出した作曲家と言えばモーツァルトをおいて他にはいない、モーツァルトを語る上でピアノ協奏曲を外すことは出来ないと言っても過言ではないだろう。
そんなモーツァルトのピアノ協奏曲だが、中でも一般に最高傑作と評されているのは23番と27番あたりであろう、ただ最高傑作の話は他に譲るとして、ここでは敢えて22番の話をしたいと思う、敢えてと言ったのは22番の評価は他に比べあまり高くないからであるが、というのも20番以降の作品はすべてが有名であると言えるモーツァルトのピアノ協奏曲の中で実は22番は25番と並んで地味であるという評価を受けることが多い。
では何故ここで22番なのか、それはピアノの特性を知り尽くし数多くの優れたピアノ協奏曲を生み出し続けたモーツァルトでさえもピアノ協奏曲において飛躍的な深化を遂げた時期があり、それこそがピアノ協奏曲22番K428からだと言うことが出来るからである。この22番のアダージョ(遅い速度で書かれた楽章)は深い慟哭や孤独、心の翳りがテーマとして扱われており、モーツァルトが作品の中でこれほどまでに自分の内面を深くえぐり出すことはそれまでにはなく、この22番を経てこその最高傑作と言われる次の23番、晩年の27番があると言っても良いのではないだろうか。そうしたことを踏まえてみれば22番は名曲揃いの20番以降の中で地味な作品などとは言えないだろう、むしろモーツァルトを聴くのなら是非聞いておきたい魅力的な作品であると言える。