あぁ今週も誰とも会話しなかった・・・

専業トレーダー。完全無欠の引篭もり。人と一切の関わりを持たない生活。

人間にはルールを守り通す機能は存在しないのではないかという問い。

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ツイッターで仲良くさせて頂いている方がルール破りによって退場を決意されたとのこと。僕はとっても悲しいのだ。足を撃たれた戦友に「俺を置いて先に行け!」と言われた感じ、頭を撃ち抜かれたのなら諦めるしかないところなのだが。

なので彼を悼んで思ったことを少し書こうと思う、彼について思うところではないのであしからず、この先にBL的な展開は待っていない。トレードについて思うところだ。

まずこの行動自体すごいことだと思っている、尊敬だ。ルールを破ったら退場すると言っているトレーダーはたくさんいると思うが、何だかんだで退場しない、ルールを守れず徐々に資金が減り続けることに嫌気がさして去っていくか、ルールを守れずぶっ飛んで去るか、まあそんなところである、ルールを破ったので退場したトレーダーは初めて見た。

そもそも僕自身が未だにルールを守れないトレーダーだ。「ルールを破ったら為替を止める!」と何度紙に書いて張り付けたか数えきれない「ルールを破ったら死ぬ!」と書いたこともある。結局止めていないし死んでもいない、ということはルールを守っているのかと言えば、守っていないのだ。これは専業になってからも変わっていない、リアルに生活に影響するのにも関わらずだ。

さて、本題だが、僕は自分がルールを破ったら止める!と言っていても結局はルールを破ってしまうのは本心では止める気がないからだと思っていた、本当に止める覚悟なんてしていないからルールを破ってしまうのだと思っていた、逆に言えば本当に止める覚悟さえすればルールは守れるのだと思っていたのだ。

だがどうだろうか、本当にルールを破ったら止める覚悟があった方がルールを破って止めてしまったのだ、これは戸惑う。本気で覚悟を決めたならルールは守れる説は成り立たないということだ。

ではどうしたらルールは守れるのか。ここで思うのは、そもそも人間はルールを守ろうと思ってルールを守れる様に出来ているのかということだ、まあ普通の状況では守れる人がほとんどだろう、しかしブログの著者りーさんが言っている「不安定な状態」と「不安定な行動」、こうなった時にどうだろう、会社に遅刻しそうでスピード違反をしてしまう、激高して人を殴ってしまう、よくある話だろう。ただだからと言って誰もが人を殴っている訳ではない、それはそうなのだが、これは単に頻度の問題だろう、実生活でそれ程の頻度でその状況に置かれることはない、その状況に置かれない様に避けることも可能だ。だがトレードをしていると否応なしに日に何度もその状況に置かれる、毎日毎日毎日だ、それでもルールを守ろうと思っていればルールを守れるのだろうか。僕は守れる気がしない。

ではどうすれば良いのか、一つは止めることだ、車に乗るのを止めてしまえば絶対にスピード違反をすることはない。

だが僕は今後も為替を続けるのだ、止める気はない、だがルールを守れるようになるとも思わない。しかし止める気はない、潔が悪いのだ。

なのでルールを守るつもりが無くてもルールを破ることをなくす方法を考える、どういうことか、つまり、例えば僕は非常に貧弱なので誰かに対し激高したとしても殴りかかる事はない、何故なら殴ったところで効かない可能性が高いし反撃されれば確実にやられるに決まっているからだ。これは人を殴ってはいけないルールだから破らないようにしている訳ではなく、殴っても意味がないとわかっているし反撃されるのが怖いからやらないだけだ、ルールを守っている訳ではない、だがルールを破っていない。

実はこれについては有名なトレード本「ゾーン」にしっかり書いてあることである、「機能的レベルで一貫性の原理を心のシステムに取り入れる」みたいな感じだったか。要は深層心理レベルにルールを破ると酷いことになんぞって事が刻み込まれてないとルールなんて守れんぞって話が本一冊分書いてあるのだが、今回の件でそんなことを改めて、自分の言葉として認識出来た。彼の死は決して無駄にはしない。