あぁ今週も誰とも会話しなかった・・・

専業トレーダー。完全無欠の引篭もり。人と一切の関わりを持たない生活。

成人年齢18歳は成人することの嬉しさを限りなく0にする気がする。

20歳になったとき僕以外のみんなは嬉しかったんだろうか。

僕は別に嬉しくなかった。どちらかと言えば嫌な気持ちすらした。

というもの僕は大人になる事を社会の歯車として消費されることと同義に捉えていたからだ、銀河鉄道999でいうところの僕は今後一生ネジの体で生きていかないといけないんだなってやつだ。

思うに日本の若者でそういうイメージを持っている人は多いのではないだろうか、社会に出て特権階級になれることが決まっている、もしくはなれると思っている層以外の大部分は僕に近い感覚を持っているのではないだろうか。

そんなことは何も考えていない様に見える荒れる成人のみなさんでさえ、あの姿はこれから何かを始めようとする入学式ではなく、何かが終わりになる卒業式の様に見える。僕の通っていた中学の卒業式には特攻服で出て来るあんな感じの同級生がそれないりにいた、青春時代の思い出として最後にドカンと盛り上がってやろうということだろう。まあ荒れる成人の心の内を深く読んでみても仕方が無いとは思うが、彼らの中にそんな思いがあるのならば納得はいく、まさか流石の彼らも成人を期に今後の人生をずっとあのスタイルで生きていくためのスタートにしようとは思っていないだろう。

話がそれたが、ともあれ僕は特権階級になることもなかったが幸いなことに歯車になることも拒否したまま何とかやってこれているのでありがたいことなのだが、それでも未だに成人して良かったと思う事は別に無い。

こんなことを言っていると、何を言っているんだ、成人するということは社会の一員として責任を持って生きていくということで、そうやって社会を支える一員となれたことがめでたいんだ、と言われるかもしれないが、正論ですね、本当にそんなことがめでたいか?それがめでたいと思えるならそのことがめでたいな、言い過ぎた、先ほどの発言を訂正はしないがお詫び致します。

さて本題だが、そんなことを思っていた僕でさえも実際20歳になったとなれば、成人式に出て地元の同級生と再会し酒でも飲みに行って盛り上がろうじゃないかってことになる訳だ。ごちゃごちゃ言わずにめでたいめでたいって話だ。

ところが、18歳で成人されるみなさんはそれすらできないそうではないか、お酒は20歳になってから、成人になったお祝いにみんなでドリンクバーでジュースでも飲めと?

まあまあ嫌なことは考えずにお酒でも飲んで盛り上がろうやという、その一点だけで成人に対する負の側面全てに目をつぶってやろうというそのイベントすらできないとなると、これはもう成人してなんか良いことあるのかな?と考えるだろう、そして考えたが最後だ、何も思い付かないだろう。

今のところ年金の徴収は20歳からのままらしいが、こんなもの何をどう考えたってそれ以外に目的が思い浮かばない、例のいつものやり方でほとぼりが冷めた頃18歳に引き下げられるだろう。遅かれ早かれ成人の日は年金を払えるめでたい日になるのだ。より一層大人になりたくない国にしたいのだろうか。

当時、大学受験を数日後に控えた18歳の僕が成人を迎えていたら、おめでとうと言ってきた全員に、え?何が?何がめでたいの?と返していただろう。良かった、20歳で成人して。