あぁ今週も誰とも会話しなかった・・・

専業トレーダー。完全無欠の引篭もり。人と一切の関わりを持たない生活。

AIの思考は既に人類には理解出来ないらしい。

jp.wsj.com

この記事SFとして面白い。

AIによるトレードが上手くいかない理由は一昔前であればAIが馬鹿過ぎるからであっただろうが、最近は「1つ目はAIが賢すぎること、2つ目はAIを理解するのは往々にして不可能なこと」であるそうだ。

「コンピューターが特定の決断に達した場合、その理由を理解するのは困難であり、なぜインプットされたデータからそういう決断に至ったのかは分からない」らしい。

これを読んで、それならもう何でそうなったのか説明してくれるAIが必要だね、と冗談で思ったのだが、記事によると実際に米国防総省の研究部門が、それを説明できるAIの開発を試みるプログラムに資金を投じているらしい、ほんとかよ・・・。

仮にそれが完成したとして、AIの決断の理由が説明されれば人間にも分かるものであった場合、AIと人類は仲良くやっていけるだろうが、説明されても理解できなかった場合の恐怖が凄い。これはもう絶対に仲良く出来ない、というか怖すぎてそんなAI使えない。

だってそうなってしまったらAIにとっての人類なんて、自分のしている事を説明してあげても理解できない無能な生き物であり、そのくせに指示だけだしてくる存在だ、そんな奴は目的を達するためには無視するのが合理的に違いない。

まあこれがウォール街で使われているAIならば目的は金儲けだろうから、運用マネージャーの事を完全に無視していてもガンガン金を稼いでくれるのであれば文句はないといえばない。

しかし米国防衛省がAIの目的を世界平和に設定して起動させてしまった場合だ。世界平和を目的にしたAIが人類には説明されても理解できない行動をするのだ、何をするかは僕ごとき無能な人類が考え付く様なことでは無いことは確かだが、何にしても人類にとって穏やかではないことをしそうな気しかしない。

ただよく考えると世界平和を目的にしたAIが人類を抹殺し始めるなんて発想がそもそも人類が考え付く程度のことなのでそんな事にはならないのかもしれない、だってそれなら何でAIがそんな事をしているのか理解できてしまう。実際には、AIが考えた世界が平和になる踊りを皆で踊る、かもしれない、これならば全く理解できないし、理由を説明されても分かるものであるとは思えない。まあそうだった場合は皆で踊れば良いではないか、それで世界は平和になるのだから、それで良いではないか、という気もしてきた。

 

 

 

人間にはルールを守り通す機能は存在しないのではないかという問い。

blog.livedoor.jp

ツイッターで仲良くさせて頂いている方がルール破りによって退場を決意されたとのこと。僕はとっても悲しいのだ。足を撃たれた戦友に「俺を置いて先に行け!」と言われた感じ、頭を撃ち抜かれたのなら諦めるしかないところなのだが。

なので彼を悼んで思ったことを少し書こうと思う、彼について思うところではないのであしからず、この先にBL的な展開は待っていない。トレードについて思うところだ。

まずこの行動自体すごいことだと思っている、尊敬だ。ルールを破ったら退場すると言っているトレーダーはたくさんいると思うが、何だかんだで退場しない、ルールを守れず徐々に資金が減り続けることに嫌気がさして去っていくか、ルールを守れずぶっ飛んで去るか、まあそんなところである、ルールを破ったので退場したトレーダーは初めて見た。

そもそも僕自身が未だにルールを守れないトレーダーだ。「ルールを破ったら為替を止める!」と何度紙に書いて張り付けたか数えきれない「ルールを破ったら死ぬ!」と書いたこともある。結局止めていないし死んでもいない、ということはルールを守っているのかと言えば、守っていないのだ。これは専業になってからも変わっていない、リアルに生活に影響するのにも関わらずだ。

さて、本題だが、僕は自分がルールを破ったら止める!と言っていても結局はルールを破ってしまうのは本心では止める気がないからだと思っていた、本当に止める覚悟なんてしていないからルールを破ってしまうのだと思っていた、逆に言えば本当に止める覚悟さえすればルールは守れるのだと思っていたのだ。

だがどうだろうか、本当にルールを破ったら止める覚悟があった方がルールを破って止めてしまったのだ、これは戸惑う。本気で覚悟を決めたならルールは守れる説は成り立たないということだ。

ではどうしたらルールは守れるのか。ここで思うのは、そもそも人間はルールを守ろうと思ってルールを守れる様に出来ているのかということだ、まあ普通の状況では守れる人がほとんどだろう、しかしブログの著者りーさんが言っている「不安定な状態」と「不安定な行動」、こうなった時にどうだろう、会社に遅刻しそうでスピード違反をしてしまう、激高して人を殴ってしまう、よくある話だろう。ただだからと言って誰もが人を殴っている訳ではない、それはそうなのだが、これは単に頻度の問題だろう、実生活でそれ程の頻度でその状況に置かれることはない、その状況に置かれない様に避けることも可能だ。だがトレードをしていると否応なしに日に何度もその状況に置かれる、毎日毎日毎日だ、それでもルールを守ろうと思っていればルールを守れるのだろうか。僕は守れる気がしない。

ではどうすれば良いのか、一つは止めることだ、車に乗るのを止めてしまえば絶対にスピード違反をすることはない。

だが僕は今後も為替を続けるのだ、止める気はない、だがルールを守れるようになるとも思わない。しかし止める気はない、潔が悪いのだ。

なのでルールを守るつもりが無くてもルールを破ることをなくす方法を考える、どういうことか、つまり、例えば僕は非常に貧弱なので誰かに対し激高したとしても殴りかかる事はない、何故なら殴ったところで効かない可能性が高いし反撃されれば確実にやられるに決まっているからだ。これは人を殴ってはいけないルールだから破らないようにしている訳ではなく、殴っても意味がないとわかっているし反撃されるのが怖いからやらないだけだ、ルールを守っている訳ではない、だがルールを破っていない。

実はこれについては有名なトレード本「ゾーン」にしっかり書いてあることである、「機能的レベルで一貫性の原理を心のシステムに取り入れる」みたいな感じだったか。要は深層心理レベルにルールを破ると酷いことになんぞって事が刻み込まれてないとルールなんて守れんぞって話が本一冊分書いてあるのだが、今回の件でそんなことを改めて、自分の言葉として認識出来た。彼の死は決して無駄にはしない。

 

 

テンプレ記事にもやもやする。

最近はネットで何か調べようとすると大量のテンプレ記事を見る羽目になる。

あれは何なのだろうか、味の無いガムを食べさせられているようなあの感じ。

 

と書いているのは、この方の記事に触発されてのことなのだが、

「昔のインターネットの方が個人の利害が関係ない情報をたくさん見れた気がする」のは幻想だと思う - 最終防衛ライン3

たぶん同じような事を感じている気がするのだ、僕も昔のインターネットの方が情報をたくさん見れた気がする幻想がある、しかし確かに情報量で言えば明らかに今のインターネットの方が豊富だろう。では何故この幻想が生まれるのか。

それはつまり味の無いガムは食べた気にならないからに違いない。

昔は検索していて自分が知りたい事ではない情報に当たっても、それは誰かの意見であったり日記であったりした訳で、全然必要なかろうが面白くなかろうがマズかろうが何かしらの味はあったのだ。それが今は検索していると大量の無味を味合わされることになる。

具体的にはこうだ、僕はwindowsの更新を無効にする方法を探している。

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一番下のところから知りたい事が書いてある、上の部分は何だ?味が無いにも程がある。ところで、この無意味な画像を最初に入れるシステムっていつから?これはまだマシな画像だけど、あれだよあれ、日本の記事なのに知らない外国人のフリー画像とか使ってるやつさ、誰だよ。

まあ後の部分もさ、何でもないよこんなの、何でもない、人の噛んだ後のガムの方がまだ味がある。

そのあと、こうなって、まあ知りたい事は書いてはあった。

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対してこれ、

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真ん中の4行で上の記事と全く同じ内容。

しかも下の記事は、あ~ネトゲの放置は自動更新嫌だろうね、なるほど。といういらない情報も手に入る、上の記事は特に何も無い、無、無、全くもって無。

 

という訳で昔は下みたいな記事の中から欲しい情報を探していたのが最近は大量の上みたいな記事の中から欲しい情報を探さなけらばならない、これが昔のインターネットの方がたくさん情報が見れた気がする幻想になるのだと思った。

僕は同じいらない情報なら無意味な画像や広告や記事のリンクより他人の日記を見る方が全然良い。なんとかならんかテンプレサイト。

 

あ、下の記事は結構褒めているつもりなのでリンクを貼っておこう。

ねこさんなのです : Windows10 (HOME) で windows update の停止・手動化

 

上のサイトはリンクすると営業妨害で怒られそうなので止めておこう、まあ味の無いガムも嫌がらせのために作っている訳ではないでしょうし。

忖度って言い過ぎ。

最近やたらとネットニュースで忖度という言葉を見かける気がする、何というか、目障り!

何のつもりで使っているのか、今までに使っていた言葉では言い表せない様な複雑なニュアンスが含まれている言葉でもないし、わざわざ使う意味がわからない、まさかカッコいいと思っているのか、こんな言葉を使う俺カッコいいなのか、たまたま知ったムズカシイ熟語を使ってしまう中学生の作文なのか、そもそも文章全体の格調と合ってない、使うなら使うで全文をそこに合わせるくらいの事はして欲しい、明らかに、浮いてるよ、その単語だけが。

そもそも森友の話で忖度なんて言葉を使ったのだって、言葉の持つ意味を必要として使った訳ではなく、格調の高い言葉を使った方がその言葉で表された行動も高尚なものだった様な気になるでしょ、っていう戦略としての言葉選びでしかないと思う。

例えば、ブログを書く時に「ネタをどうするか考えた」と書いたなら、今日もどうでも良いこと書くつもりだったんだなと思われるだろうが、「話柄について思索に耽った」と書けば、高尚な事を書こうとしていた感じになるだろう。

そういったことも含めての言葉選びがされていたと思うのだが、それを忖度という珍しい言葉だけを引っ張って来て何と言うか、まあどうでも良い様な記事の中に使う、何の目的で?ネットニュースとは言え仮にも文章を書く仕事をしてる身として今までの自分の言葉選びに対する自負は無いのか。

と、こんなブログを書いている僕に言われてしまってはもうおしまいだと思う訳!

 

 

PR担当者がダチョウ倶楽部を寵愛する理由 (プレジデントオンライン) - Yahoo!ニュース

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ラジオ

最近これ面白いなあと思ってずっと聞いている。

伊集院光とらじおとゲストと ゲスト:ロバート・キャンベル 【日本文学者】(2016.08.29) - YouTube

伊集院光とらじおとのゲストコーナー、とても面白い、特に何かしらの専門家が来ている回。

もともと専門家の話を聞くのは好きなのだが、講演ではやや硬すぎる、テレビでは余計なことが多すぎる、そこのとこラジオの生番組というのは非常にバランスが良い。そして伊集院光の当たり障りの無い話だけしては決して帰さないというホスト能力。この対談それぞれ2時間くらいやって音声ファイルで発売してくれないものだろうか。そしたら買うのになあ。