あぁ今週も誰とも会話しなかった・・・

専業トレーダー。完全無欠の引篭もり。人と一切の関わりを持たない生活。

読書履歴でいったい僕の何がわかるって言うんだい!


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これを昨日Twitterで見て、読書履歴は児童のプライバシーだ!何を読んだかなんてことを人に知られたくない!って方が結構おいでになられる様だと。

まあ、この記事を読む限りでは、そもそもその解釈自体が曲解だった様だけれども。

 

たしかに読書履歴がプライバシーかプライバシーじゃないかと言えば、プライバシーだ。

だって読書履歴からは読書履歴がわかるから、しかし、それがそんなに重大なプライバシーの侵害なのだろうか、読書履歴から読書履歴以外の何がわかるというのだろうか。

プライバシーの侵害だ!と言っておられる方の多くが読書履歴から個人のパーソナリティに関わる重大なものを読み取られてしまうと考えている様に思われる、本当にそんなことが可能なのだろうか。

どうにも本というものを神格化している割には読書を通して得られるものは過小評価している様に感じてならない。

本というのは1冊読めば読んだ人のパーソナリティに何か特定のものが付加されるマジックアイテムではない、RPGで「炎の書」を読めば「ファイア」の魔法が使えるようになる、だが現実の本はそんなに便利なアイテムではない。

比較的効果がわかりやすい実用書ですらそう単純にはいかないだろう、

PVを稼ぐためにサッカーの話題を入れようか、サッカー日本代表長友佑都選手の本「ヨガとも」これを読んだ人は必ずヨガを身につけ今も毎日ヨガをしているだろうか、そもそもヨガに興味があったのかということすら謎だ、長友のおもしろいポーズ以外のことは何も頭に残っていない場合もあるだろう。

ちなみに僕はヨガにも長友にも特に興味は無いがヨガともを読んだ、ヨガともというタイトルが好きだからだ、そしてヨガのポーズは1つも覚えてないし長友に興味も湧かなかった、そしてこの話はサッカーと何の関係も無い。

だがこれは僕の読書履歴に残っている、さてこの本と僕のパーソナリティとの関連を読書履歴から見出せる人はいるのだろうか。とは逆に長友ファンが長友の写真集として買ってみたがそこからヨガに興味を持ち今では毎朝欠かさず行っている、という場合ももちろんあるだろう。実用書でこうなら、これが文学だったらどうだろう、そこから得られるものはそれこそ千差万別、読んだ人の数だけ可能性はある、読書履歴からその人の何かがわかるなんて考えは読書から得られるものを過小評価し過ぎていると言わざるを得ない。

 

これがエロ本なら話は変わるかもしれない、今まで読んだエロ本をデータベース化して参照した場合、僕の性癖のおおよそのところは露わになるだろう、これはプライバシーの問題かもしれない。担任の先生に、お前は制服ものばかり読んでるな、たまには熟女ものも読みなさい、と言われたら、これは厳しい。

だがしかし、考えて欲しい、エロ本ですら、そこからわかることなんて僕のパーソナリティの触りでしかない、どんなに僕のエロ本データベースを精査したところでセーラー服とブレザーどちらが好きかはわからないだろう、制服を全部脱がすのは邪道!という信念を持っている事は決してわかるまい。この本で一番エロいと思うのはどのページ?この本とこっちの本ならどっちがエロい?せめてそのくらいのことは聞いてみないことにはエロ本データベースからプライバシーだと騒ぐほどの情報は何も得られない。また、全く興味がないと思っていた熟女ものでも読んでみたら、熟女制服はアリという新たな可能性の扉が開かれることもあるかもしれない、個人の趣味だけでエロ本を選んでいては決して開くことのない扉だ、まあそんな扉は一生閉じていて頂いて一向に構わないのだが、これが文学ならどうだろうか、文学ならどうなのだろうか、今僕は高尚な話をしている。

 

それでも読書履歴が重大なプライバシーだと言う方には僕が小学生時代に読んだ本からクイズを出そう。

僕は小学生の時に「二年間の休暇」で読書感想文を書こうとした、さて僕はどんな子供だったでしょう。

 

正解は、学校が大嫌いで既に中二病になりかけている子供、もちろんわかったはずだ、念のためわからなかった方のために説明しよう、二年間の休暇十五少年漂流記というタイトルの方がメジャーだ、そう、みんなは十五少年漂流記を読むだろうけど僕は二年間の休暇を読んじゃうやつだから、みんなとは違うのさ、という中二的発想だ、そして二年間の休暇というタイトル、学校嫌いにこれほど魅力的なタイトルがあるだろうか。

さて、さらに問題、結局僕はこの本を気に入ったでしょうか。

答え、いいえ、それほど気に入らなかったので感想文は書かなかった、なぜか、みんなでとかめんどくさいから、どうせ漂流するなら一人で頑張るロビンソン・クルーソーが良い。ロビンソンクルーソーは好きだ、あの一人で孤独に拠点を作りあげていく感じがたまらない。

僕の読書履歴に二年間の休暇ロビンソン・クルーソーが入っているのを見て先生は言うかもしれない、君は冒険ものをよく読むんだね、僕はとりあえず、そっすね、と応えるだろうが、先生は僕が読書から得たものの本質を全く捉えてはいない。読書の履歴は読書の履歴でしかないのだ。こんなものがプライバシーなら本屋で棚の前に立って本を探している人の隣に立つのは重大なプライバシーの侵害である。

 

もう少し簡単な問題にしよう、僕が小学生の時に一番読んだのは江戸川乱歩の少年探偵団シリーズだ、多分全部読んだ。さて、僕はどんな少年だったでしょうか。

ここまでで僕について読書履歴以外のヒントも大量に出してしまった、これは答えられるだろう、正解は、将来怪人二十面相になりたいと思っている少年、である、これはサービス問題だ、僕が少年探偵団に感情移入するはずがない。

しかし、不思議なことに普段僕をよく見ているはずの大人たちは、僕が少年探偵団シリーズを読んでいると知ると必ず少年探偵団について言及してきた、別に好きじゃないので話は盛り上がらなかった、少年探偵になりたいわけがない。

名探偵コナンという漫画は好きだが工藤新一という人物は嫌いだ、お前は何の権利でそんなに偉そうに正義を語るんだ、良いとこのお坊ちゃまに他人の不幸の何がわかるんだ、そんなに謎を解くのが好きならパズルでもやってろ、と思っている。

ちなみに少年探偵団シリーズを全巻読んだ理由は途中から惰性と義務感だ、別の本を探して全然面白くないのも嫌だし、ここまで来たら全巻読まないといけない気もするし、まあ今回もこれで良いか、という感じだ。

むしろ僕の読書履歴を管理している先生に別の本を紹介してもらえていたら、そっちを読んだかもしれない、そしてそれが面白かった時には次に読む本をまた紹介してもらいに行っただろう、本を読むときのハードルの一つとして自分で読みたい本を選ぶということがあると思う、特にまだ読書量が少ない頃は読みたい本と言われてもよくわからないものだ、僕ならむしろ紹介して欲しい。

そして今回の話とは逆説的になってしまうが、本を紹介されるなら僕のパーソナリティを理解している人に紹介してもらうのが一番だ、僕のことをよく理解している人が、これ絶対面白いと思うから読んでみて、といってくる本は僕のことを知った上で普段僕が読んでいるジャンルからは外れた、これは読んだことないだろってものを持ってくる訳だ、当然僕は、何だそれあんまり興味ないな、と思うのだが読んでみると絶対に面白い。あの人に薦められたあの本は本当に面白かったなあ、あの時にあの人があの本を紹介してくれて本当に良かったなあ、というのは読書体験として素晴らしいものだ。

本当はそういったことが出来る本を大量に読んでいる大人が子供達一人一人の身近にいれば良いのだけれど、そうもいかないだろう、となるとシステム的にでも無いよりはマシであろう、ただ残念な事に読書履歴なんてものでそれが出来るとはとても思えないけれど、読書履歴はただ読書履歴でしかないのだ。